No.74 2025年2月2日
「一期一会」
牧師 木村拓己
「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」
(ルカによる福音書一〇章三六節、三七節)
去るクリスマスに、信仰を告白し、松丸梨子さんが教会員に加わってくださいました。迎えた私たちも、新たな出会いを喜び、共に歩んでいく思いを新たにしたいと願います。
前号では一〇月から聖餐式を再開した報告を記しましたが、引き続いて二〇二四年度は「クリスマスイブ燭火讃美礼拝」を再開しました。広く対外的な案内は出しませんでしたが、それでも百名を超える方が集い、主のご降誕を賛美のうちに迎えることができました。クリスマス総員礼拝を含め、教会員のご家族の出席が見られ、新たな出会いと再会の時が与えられたことをうれしく思います。
月一回の「夕礼拝」も再開されました。こちらは二〇一七年三月以来の再開となります。去る一月の夕礼拝では佐藤紀子さんの奉唱、また都留和夫さんに奏楽を依頼し、クリスマスや好きな讃美歌をリクエストして、みんなで賛美することができました。今後も出席者の意見を聞きながら、朝の礼拝とは異なる趣向で進めたいと願っています。
一方で、主のもとに召される方もおられました。伊藤厚子さん、大須賀貴美子さん、寺島恵子さん、田島須美子さん、小林廣茂さん、また別帳会員では森真紀さんと、六名の方々です。主の慰めを祈ると共に、信仰を受け継ぐ思いを確かめたいと思います。
原宿教会の建物にも変化が見られます。一月には玄関前の補修工事が行われ、全面にタイルが敷かれました。二月末には礼拝堂音響の工事を控えています。これは五年一〇年を見据えて、聞き取りやすい音響を備えることを念頭に進められています。
もはや月並みな言い方かもしれませんが、「一期一会」という言葉を改めて想い起こしています。人間同士の出会いもさることながら、神さまと出会い、洗礼へと導かれた一生に一度の出会いを思います。今日という日、今ある時は当たり前ではなく、二度と訪れることはないのです。たとえ同じ人、同じ場所であっても、同じになることもないのです。一期とは、生まれてから死ぬまでの間を意味する仏教用語ですが、茶道の心得として、今日という時を大切に生きることを説いています。
アメリカ公民権運動のために働いたマーティン・ルーサー・キングJr.牧師は、善いサマリア人のたとえについて、次のように説教で語っています。
「祭司とレビ人は、この旅人を助けたら『自分』がどうなるかを考えた。しかしサマリア人は、この旅人を助けなかったら、『この旅人』はどうなるのかを考えた。隣人とは道端に転がっている人である。ユダヤ人でも異邦人でもない。またロシア人でもアメリカ人でもない。黒人でも白人でもない。人生にたくさんあるエリコへの道で困窮している『ある人』なのだ。」
自分のことを一旦忘れて、困難にある人を考えるところに、イエスが示した愛があるのではないでしょうか。「行って、あなたも同じようにしなさい」とのイエスの言葉を味わいつつ、当たり前ではない毎日を、誰かと共に大切に歩みましょう。