教会だより

No.31  2008年10月19日

一つの心、一つの思い

牧師 石田 透

 使徒言行録4章 32-37節には初代教会の人々の財産の共有に裏付けられた信仰共同体としての生活の様子が描かれています。32節に次のように記されています。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。」ここには聖霊を注がれた教会に驚くべき一致が見られたことが示されています。

 宗教改革者のカルヴァンは「信仰が支配するところでは、皆の者が同じことを願うほど人の心を信仰が一致させる。」と言っていますが、初代教会の人々を結びつけていたのはまさに信仰そのものでした。信仰は基本的には神と私という垂直的な関係です。人間は信仰者としてまず神への誠実を表現しようとしますが、その神への誠実は同時に他者への誠実という水平的な横方向への拡がりを人間に与えます。

 信仰を与えられた群れは、ご自身をすべてささげ尽くしたキリスト・イエスにあって、心を一つにし、思いを一つにするのです。そして他者愛に生きたキリスト・イエスを主と告白する者は、主の歩み給う道を辿り、所有に対する人間個人の執着心をも放棄していきます。これは初代教会の決定的な特徴です。彼らは私有財産の放棄を原則的に覚悟しておりましたし、実際そのことはしばしば行われていたようです。「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」34節・35節

 共同体の中で生活に困った者が出た時、共有されていた財産の中から、その都度必要に応じて分配され、互いに世話をしあっていたのです。彼らは自分たちが罪ある者であり、それにもかかわらず神が一人一人を愛して生かしてくださる。自分たちは罪のゆるしを与えられている存在なのだという謙虚なる思いを持っておりました。そして今自分が所有しているものは、キリストの恵みとして与えられているものであって、これらのものは本来キリストのために用いられるべきものであると堅く信じていたのです。このような信仰は、この世の富に執着しがちな私たちの心を軽くし自由にします。彼らのいわゆる「原始共産制」というものは、「制度」などではなく、彼らがイエス・キリストから促され、彼ら自身が選びとった彼らの「生き方」そのものだと言うことができます。「信仰が支配するところでは、皆の者が同じことを願うほど人の心を信仰が一致させる。」という前述のカルヴァンの言葉がまさに現実となっていたのです。

 人間の力ではなく、神の力が支配するところに、人間の思いを超えた「一致」が実現するのです。この世的な権力を持つ者が上から制度として押し付けるのではなく、一人一人の心に、静かに、そして深く神の愛がしみわたり、その人の心と身体を整えていくという、まさに草の根を起こしていくような力が「信仰」にはあるのです。

 初代教会の理念である「共同」と彼らの具体的な相互の「援助」は二千年の時を経て、現代を生きる私たちにも大いなる刺激を与えます。初代教会の人々が得た「主にあって共に生きる」という喜びを、私たちもこの原宿教会の教会生活の中で味わっていきたいと思います。