主日礼拝説教(2026.3.8)
「わたしのイエスさま」 マルコによる福音書 8章27節-31節
木村拓己 牧師
卒業・卒園祝福礼拝です。幼稚園を卒園する方、小学校を卒業する方、中学校を卒業する方、高校を卒業する方々を覚えてみんなで礼拝しています。今週原宿幼稚園は卒園式を迎えます。
今日の聖書は「わたしのイエスさまとはどんな方か」が書かれています。弟子たちは、洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人だという人もいますと答えました。そしてイエスさまはお弟子さんたちに聞きました。「それでは、あなたがたにとって私は何者なのでしょうか。」ペトロはすかさず答えます。「あなたは救い主、メシアです」と。
ルカによる福音書では、イエスさまが一人でお祈りしていた時にこの質問をしています(9:18)。イエスさまが一人でお祈りしている時とは、十字架にかかることを深く考えていた時でした。「できるならば十字架にかかりたくありません。でも神さまの御心のままにしてください。」というお祈りをしながらも、イエスさまはとてもこわくて悲しんでいる時だったのです。
イエスさまは私たちのことを守ってくださる方です。でも、私たちがイエスさまのために一緒にいてあげたいと考えたことはあったでしょうか。イエスさまのためにお祈りしてきたでしょうか。 イエスさまは救い主で、神さまのことをたくさんお話になりました。でもイエスさまは、私たちと同じように心も体も傷つく方ではないでしょうか。
イエスさまは救い主だけど、その救いはイエスさまが十字架にかかることによって与えられるものでした。三日ののちに復活するという、この世のどんな力も神さまの力には勝つことができない救いによって、私たちはもう一度神さまと歩み直すことが赦されたのでした。
イエスさまという犠牲によって成り立つ平和というのは当たり前のことではありません。誰かの犠牲によって毎日を当たり前のように生きるというのも当たり前のことではないのです。私たちが思うほどにイエスさまは強くないのかもしれません。でも私たちのために、私たちのことを大切だよ、大好きだよと言ってイエスさまは生きてくださった方です。
それはイエスさまだけではありません。みんなのまわりにも家族やお友達、先生、そしてここで一緒に礼拝している教会の人も、卒業・卒園を迎えるみんなのために礼拝しているのです。みんなが卒園しても、卒業しても、神さまに守られて元気に成長していきますようにと、みんながお祈りしてくれているのです。
誰かにお祈りしてもらえるってうれしいことです。何かができなくて困ったり、学校や勉強、 おうちのことで大変な気持ちになった時、一度立ち止まって神さまに思いを向けてみましょう。それぞれの場所でお祈りするのもいいし、日曜日に教会に来て、みんなで礼拝してみるのもいいかもしれません。家でも学校でもない場所です。
卒園しても、卒業しても、神さまの言葉によって生きる仲間に会える場所、それが教会です。卒園して違う学校に行ったお友達にも会えるでしょう。だから、いつでもここに帰ってきてください。卒園しても、卒業しても、みんなの帰ってくる場所がいつもここにあることを覚えておいてほしいのです。元気な時も、元気がでない時も、みんなの居場所がここにあることを、大人になっても、おじいさんおばあさんになっても、神さまの言葉を忘れないでいてほしいと思います。
そして私にとってのイエスさまってどんな方だろう。そのことを心のどこかにしまっておいてください。いつかその思いが大きくなって、イエスさまのことを思い出して、またここで一緒に讃美歌を歌ったり、一緒に礼拝したいなと思うのです。
