主日礼拝|今週のみことば

  聖霊降臨節第15主日礼拝 説教(2026.8.30)

「最も重要な掟」  マルコによる福音書 12章28節-34節

木村 幸 牧師

 今日の箇所は最も重要な掟と題されたイエスと律法学者のやりとりの場面。あらゆる掟のうちでどれが第一なのか。これは当時のユダヤ教ラビの間ではしばしば論議の的になる事柄だった。律法には当時少なくとも248のすべきことと、365のすべきでないこと、計613個の規則があったと言われている。その613個の中で優先順位の見極めや捉え方あるいは組み合わせ方が学識者としての真髄を表すという側面があったという。
 最も重要なものはという質問に対してイエスは答えを二つ返している。一つめは、申命記の6章4節5節からの引用であり、これはモーセ以来伝えられてきた主との契約の大前提である。二つめについてはレビ記に19章18節に根拠があり、これは元来イスラエルの民の共同体内の秩序を定める時に言われたものであった。しかしイエスの時代に至ってこの隣人は身内等ではなく、その対象は外国人、敵対者にまで広げられている。主への愛についての伝統的な掟と、敵も含めた隣人への愛という新しい掟が、ここで初めてイエスによって一つに繋げられた。それは画期的な答えであった。
 二つの掟がどのように一つとして繋がれるのか。その鍵は循環ということではないかと考えられる。私たちは主からの愛に応えたいと思いながら、実際に同じだけの思いや行いを返せるわけではない。その愛を、恵みを、自分が出会う誰かにまた渡していく。この循環があって初めて、その人が注がれた愛が命を持って生きていくことになるのではないか。
 最も重要な掟を知っているだけでは足りない。こんな自分をここまで生かしてきてくれた人々の思いや支え、そして何よりもその人々を与えてくださった神様の恵み。その感謝を他者に対して体現してこそ、受け取って繋いで広げていってこそ、私たちはイエス・キリストと繋がっている、そのぶどうの木の枝であると言えるのだろう。
 私たちが不器用ながらも愛を示した誰か、存在を受け止め、大切にし、応援して後ろから支えた誰かが、いつか他の誰かに同じように愛情を返してゆく。その循環を見た時にこそ、ああここに神の国が臨んでいるのだと、私たちにもわかるのではないだろうか。
 信仰生活において、すぐにわかる答えや結果は残念ながら与えられないが、その時までの気長な道を、信仰の友たちと励まし合いながら待ちたいものである。