教会創立122周年記念礼拝(聖霊降臨節第7主日礼拝) 説教(2026.7.5)
「主の物語を生きる」 マルコ 8章14節-21節
木村 拓己 牧師
本日は原宿教会創立122周年記念礼拝です。1789年、アメリカ・メリーランド州で米国基督同胞教会の設立総会が開催されました。ドイツ改革派教会のオッターバインとメノナイトのベームがペンシルベニア州の牧場で行われた伝道集会で出会い、それまでの信仰の違いや対立を超えて「我々は兄弟だ!」と手を取り合ったところから同胞教会の歴史が始まりました。やがて伝道決議により、1895年に日本での伝道が始まります。
1901年に日本基督同胞教会の設立総会が東京・神田の基督教青年会館で開催されました。この年、神田では日本初の路面電車が走り出し、福岡県では八幡製鉄所が操業を開始されています。明治維新以後、財閥が生まれ、東京が首都となり、日本の産業発展と近代化へと走り抜けていく時期です。新しい技術に新しい市街地、そして新しい信仰と、見るもの全てが鮮やかで、新しさに触れる好奇心が道端に溢れていたことでしょう。
こうして誕生した日本基督同胞教会の歴史は8教会で始まりました。本所、日本橋、静岡、沼津、小田原、野田、松戸、そして滋賀県の草津でした。原宿教会始め諸教会が加わっていき、1941年に日本基督教団への合同を決議した最後の臨時総会には26教会が名を連ねています。
同胞教会の歴史を紐解くと、やはり異なる信仰を持つ者たちが共に歩み出した点が特徴的です。13名の牧師が集まった米国同胞教会の設立総会では、洗礼の方式については「各自の信仰に任せる自由があるべき」と記録されているのです。彼らは、自分たちの信仰と他教派の信仰という線引きでは歩んでいなかったからです。いつか他教派と合同し、一つのキリストの体となることこそ、彼らの宣教理念だったと言えるのです。
原宿教会は日曜学校、つまり子どもの礼拝から始まりました。初代牧野牧師が教育に関心があったからです。教会の牧師として、教育者として、子どもを招き、やがて保護者の居場所の必要を感じるにつれて、原宿教会が形作られていったのだと想像するのです。
本日の聖書はパン種についてイエスが語る場面です。実はパン種は悪いたとえに用いられることが多いです。発酵過程が腐ることや変わってしまうことをイメージさせるからです。旧約聖書にある主の過越の出来事とマナに注目したいと思います。出エジプト後の荒れ野の40年で食べ物に困るモーセたちに、神は毎朝マナを備えました。ある者は多く集め、ある者は少なく集めるのですが、決まっていつも同じ量になる。多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことがないのです。イエスの5000人と4000人の給食の物語の土台となっていることがわかります。
イエスは「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と言われました。再び奇跡に期待する点について、さらに言えば、私たちの心にあるイエスに対する願望について、イエスはパン種にたとえたのではないでしょうか。初めは小さな願いが、いつしか大きく膨らみ、当たり前のようになっていくのです。
病を癒し、何千人もの人に食べ物を与えた奇跡は、本来イエスが共におられるならば私たちは思い悩む必要などないと告げ知らされた出来事であったはずです。そのことを弟子たちは忘れ、人々があっと驚く奇跡、一度脳が味わった快感を忘れることができないのです。
神の奇跡の力で相手を納得・屈服させようとするのは武力と変わりません。相手を上回る力をふりかざして従わせるところに神の福音はないのです。「私は相手を屈服させるためにやってきたのではない。まだ悟らないのか。」とイエスは厳しく語ったのではないでしょうか。
私たちは主の物語を見つめ、それを証しする群れです。パンを与えられて喜ぶ人もいれば、主が祈ってくれたことに喜ぶ人もいる。みんなで分け合ったことを大切に感じる人もいる。イエスと共にパンを配る弟子に憧れる人もいる。みんなそれぞれの目線でイエスが裂いてくださったパンを見つめ、味わったのです。そのイエスは、一人でも多くの人と出会い、共に食べること、共におられることを大切に歩まれたのではないでしょうか。
私たちも主の物語を心に膨らませましょう。信仰を超えて、国籍を超えて、性別を超えて、あらゆる違いを超えて、互いを認め合って一つとなろうとする歴史がその始まりから原宿教会には刻まれています。主が招く人と出会い、共にパンを分け合って歩みましょう。その信仰を今一度奮い起こして123年目へと歩み出していきましょう。どうか主の祝福が連なるみなさん一人ひとりに注がれますように。
