聖霊降臨節第5主日礼拝 説教(2026.6.21)
「遣わされるもの」 使徒言行録 13章1節-12節
木村 幸 牧師
タルソスの地からバルナバに連れられてアンティオキアという街の教会に一年ほど留まったサウロ。そこで断食をして祈っていた時に、彼らを選び出すよう聖霊に告げられたとあります。穏やかで真面目な性格の年長者バルナバと、人から恐れられるほど極端な情熱家サウロは、互いに足りないものを補い合える組み合わせだったのかもしれない。
彼らが最初に進路をとったのはバルナバの出身地キプロス島だった。バルナバはここから宣教の主導権を相棒に譲る。9節でサウロの名前がパウロになって以降、名前の順序も「パウロとバルナバ」と表記されるようになる。ここでパウロたちがなした大きなわざは、この地方の総督セルギウス・パウルスを主の道に導いたこと。その出会いには間にユダヤ人の魔術師バルイエスという怪しげな人物が挟まれている。
バルイエスは「イエスの子」「魔術師」という二つ名を掲げながら、土着の民間信仰に基づいた不思議な力を示して人々の関心を得ていたと思われる。その魔術師を、イエスの権威による力を目に込めて撃退したというのが、キプロスでの出来事の構図である。印象的なのはパウロが相手の目を見えなくしたことだ。それはいつかパウロ自身が陥った困難でもあった。
かつてのパウロが物理的に目が見えなくなったのか、精神的に何も見えなくなったのかはわからない。どちらにしても、パウロは自分の足で歩くことができず、誰かに手を引いてもらわねばならなくなった。それまで生きてきた中でパウロが信じていたものが崩れ去り、目の前が真っ暗になったからだ。
それと同じ状態に魔術師を陥らせたのだとしたら、それはパウロが必ずしも相手を奇跡的な力でやっつけたのではなく、彼の誤った信仰を打ち砕いた、それゆえにバルイエスは何も見えない状態になったのだと考えることもできる。彼が再び目を上げて何かを見ようとする時が来るとしたら、それがまことの信仰に目覚める時ということになるのだろうか。
打ち砕かれ、人に手を引いてもらわねばならないほど自分の無力さを知った者が、むしろ主の力に押し出されて遣わされる者となる。そんな見えざる手の導きを思わされる聖書箇所。私たちもまたこうして礼拝に集い、この場所から遣わされていく一人一人である。それを思う時、主が使徒たちに与えたのは奇跡の力などではなく、むしろ無力な自分を主の前に曝け出せる信頼、自らを主に用いられる器として明け渡せる勇気だったのではないかと考えさせられる。目を上げて十字架を見つめ直し、またここから歩み出したい。
