主日礼拝|今週のみことば

 聖霊降臨節第20主日礼拝 説教(2026.10.4)

「信仰と忍耐」  ヘブライ人への手紙 6章1節-12節

木村 拓己 牧師

 本日の聖書は「だから聞く耳のある者は聞きなさい」とイエスが語った、種を蒔く人のたとえに似ています。キリストにおいて示された福音を前に、私たちがどのような態度で応えていくか。信仰者としての成熟を目指すお話しです。
 ヘブライ人への手紙は、当時のキリスト教迫害によって信仰が揺らぐユダヤ人キリスト者に宛てられた手紙だと言われます。彼らはキリスト教への迫害に苦しみ、迫害されることのない伝統的なユダヤ教に立ち帰ろうとしていました。
 立派な神殿があり、組織や律法規定などが十分に整備されたユダヤ教。対して、キリスト教は生まれたばかりで個人宅で隠れるように礼拝するような状態でした。歴史と伝統あるユダヤ教に対してキリスト教が張り合える要素は多くありません。ただイエス・キリストを救い主とするという一点だけであったのでしょう。こうしてヘブライ人への手紙はイエス・キリストこそが救い主であるとしっかり伝えています。
 自分が苦しまなくて良い生き方には憧れます。自分の代わりに家事や育児、仕事をしてくれるなら、自分が苦しまない形で対価を支払うことで成り立つなら、なんとうれしいことでしょう。インターネットやAIの登場によって、あらゆる情報を得ることに時間をかけなくなり、あらゆる作業に時間をかけなくなっています。生活を支えることを念頭に、もっと便利なモノが生み出されるでしょう。
 それは、人から人へ直接つながる機会が減ることでもあります。人と人との間に画面が入り込んで、直接話すことなく情報が引き継がれるのです。親から子へ、祖父母から子へ語り継がれるのではなく、インターネットに教えてもらうようになっていく、いやすでになっているのです。
 「顎は使わなアカン」と、おばあちゃんに言われた記憶があります。おばあちゃんはその理由を多くは語りませんでした。昨日AIに聞いてみたら、すごくよく答えてくれました。確かにおばあちゃんよりも、AIの方が的確で多くの情報を整えて示してくれます。しかし求めていたのは間違いのない的確な情報ではなく、面倒を見てもらい声をかけてもらうこと、誰かに道を示してもらうことを通して、自分が生きていく力を得ていくことではないかと思うのです。
 誰もが謙遜したり、人前に立つことをためらって一信仰者であろうとするかもしれません。しかし信仰を伝えることは本来すべてのキリスト者が担う使命です。人に教えるなんて滅相もないと思うかもしれませんが、あなたにもイエスさまを伝える力、誰かを信仰に導く力は十分に備えられているぞというメッセージでもあるのではないでしょうか。
 今日は世界聖餐日、世界宣教の日です。ここにイエス・キリストが招かれた食卓を囲もうとしています。世界が主において一致しようとする和解の食卓です。これもひとつの種蒔きです。種を蒔く人のたとえを読む時、いつも自分自身は種を蒔いてきただろうかと自問させられます。
 作物が勝手に実ると思っていなかったか。蒔いてくれる誰かがいると思ってこなかったか。蒔く人、手入れする人、水をあげる人、一人ではない関わりと役割の中で自らの信仰に立って歩むことを確かめたいと思います。
 神の名のために示した小さな愛を神はお忘れにならないという慰めを希望として、世の罪を背負われたキリストの贖いを心に刻みましょう。そしてイエスさまを見失わないように、自分が今どこに立っているのかを忘れることがないように。毎週心の地図を確かめながら、神が約束されたものを受け継ぐ者でありたいと願います。イエスさまに向かっていく礼拝から始まる旅路をゆっくりじっくりと神の恵みに応えていきましょう。