教育週間合同礼拝 説教(2026.10.25)
「予定調和」 ルカによる福音書 12章13節-21節
木村 拓己 牧師
どれだけお金や食べ物を持っていたとしても、今日命は終わってしまうかもしれない。なぜなら私たちは命の終わりを知ることはできないからです。「自分が満足するだけでは、神さまの前で豊かに生きることはできないんだよ。」これが、今日イエスさまがお話しされたことです。
確かにお金や食べ物は大切です。何年も食べられるだけの食べ物を持っていれば、不安は少なくなります。でも同じ時に食べるものがなくて困っている人がいた時、それを分けることができるでしょうか。私たちはどれだけ持っていても、足りないと思った瞬間に誰かに分けることができなくなります。もっと欲しいと思った瞬間に誰かに分けることができなくなります。
ネパールで大きな土石流が起こりました。世界で最も高い山がある地域、山の上にはたくさんの雪があり、何万年も時間をかけて氷河を形成しています。その氷が溶けて、崩れて、巨大な氷塊が転がって、途中の土や森を巻き込んで、たくさんの人が住んでいるところに流れ込んできたのです。
なぜ氷が溶けてしまったのでしょうか。それは、地球温暖化によって気温が上がったからです。なぜ地球温暖化が起こるかと言えば、人が森の木を次から次へと切って自分たちのために使ったり、人が石油や石炭、ガスやガソリンといった化石燃料を燃やし続けているからです。
世界中の国々が自分たちの生活の便利さを求めて、温室効果ガスを出し続け、地球全体を温め続けています。ネパールは小さな国で、温室効果ガス排出量は決して多くありません。しかし大災害が起こり、ネパールの人の暮らしを襲っています。
私たちは支援する側であると同時に、ネパールの人を困らせている一人かもしれません。自分がしたいようにすることで、誰かを困らせているかもしれない。自分が便利だから、もっと欲しいからと思うことで、地球を、神さまを困らせているかもしれない。そのことを覚えておきたいのです。
今日の聖書では、「わたしにも遺産を分けてくれるように言ってください」とイエスさまにお願いする人が登場します。お兄さんが財産を独り占めしてしまったようです。弟であるこの人はお父さんとお母さんとの思い出が詰まった物を何にも分けてもらえません。だからイエスさまに助けて欲しいと思ったのです。
聖書はいつも分け合うことを教えてくれます。手に持つ財産ではなくて、与えられている命やおともだち、家族という財産を大切に歩みなさいと教えてくれます。持ち物に縛られずに誰かが必要とするならば、その人のために使おうとささげる自由が私たちにはあります。それこそが神さまの前で豊かに生きることではないかと思うのです。
「予定調和」というのは難しい言葉です。今日では人が考えた通りに、筋書き通りに物事が進んでいくといった意味で使われています。でも元々は、ドイツの哲学者であり科学者であるライプニッツという人が昔々に考えた言葉です。それは、「今私たちが生きているこの世界は、神さまが選び取ってくださった最も善い世界なんだ」という意味でした。神さまが計画された通りに世界は動いているのかな。良いことも悪いこともあるけれど、神さまに見守られ、慰められながら私たちは今日を歩んでいきたいねという思いが込められています。
私たちが生きている世界とは神さまがつくられた世界なのであって、命も食べ物も、家族も友達も神さまからいただいている、借りているものなのかもしれません。
神さまの前で豊かに生きる。それはいつだって、分け合って生きることに尽きるのではないでしょうか。私たちはどんなものを、誰と分け合って生きていくことができるでしょうか。
