教会だより

No.69  2023年3月26日

見よ、兄弟たちが共に座っている

牧師 石田 透

 
私たちはキリスト・イエスに在って兄弟姉妹です。神の家族です。年が離れていても、住むところが遠く離れていても兄弟姉妹です。また、未だ洗礼を受けていなくても、私たちは兄弟姉妹です。なぜならばそれは主が望んでおられるからです。私たちは今まで色々なことを分かち合って生きてきました。たくさんの課題を共に担ってきました。祈り合い、助け合いながら生きてきました。そしてこれからもそのように生きていきます。そこに主の願いと、私たちの喜びがあるからです。
 そのように私たちを結び付けてくださったのはイエス・キリストです。本来、私たち人間は神の家族、兄弟姉妹として造られました。しかし人はその罪深さゆえ、お互い憎みあいバラバラとなってしまいました。そのような私たちを再び、兄弟姉妹として結び合わせてくださったのはイエスさまです。イエスさまはバラバラで孤独であった人々を訪ね、共に食し、慰め、励ましました。そして兄弟姉妹として共に生きる喜びを人々に与えたのです。人々が共に生きることを喜びと受け止め、そのように生きることを決断することを願って、イエスさまはご自分のすべてを十字架にささげました。私たちが今、心に刻み付けるべきは、まさにその十字架のイエスさまの姿です。
 同胞教会の創立者であるオッターバインとベームが「我らは兄弟である」と叫び、新たな信仰者の群れを形成したのは一七六七年のことでした。通常教派というものは、一つであったものが分裂して生まれます。しかし、同胞教会はもともと違うものが互いの違いを受け入れあい、一つになって誕生したのです。私たち原宿教会のルーツはこのアメリカの「基督同胞教会」にあります。「基督同胞教会」というこの名称に全てが証しされているのです。二人の祈りと願いと覚悟がこの名前に表われています。違いを受け入れあい、共に生きることを願ったとき、私たちはキリスト・イエスに在って兄弟姉妹となるのです。
 キリストに在って兄弟姉妹として共に歩むことに喜びを見出して、教会形成と社会貢献に励む小さな群れ。幼な子や子どもたちへの教育を宣教の柱として位置づけ、平和な人格的交わり、平和のこの現実世界での実現に向け、祈り、歩み続ける信仰者の群れ。小さくてもよいから誠実に生きる信仰者の群れ。これが基督同胞教会が目指した姿です。その基督同胞教会の群れがここ原宿に小さな教会を建てたのです。
 この群れの最初のプログラムは子どもたちを集めての幻燈会でした。以来原宿教会は日曜学校の働き、幼稚園の働きを宣教活動の中心に据え、教会形成に励んできました。地域に根差すために試行錯誤を繰り返しながら一生懸命に伝道に励んだ設立草創期の困難な時代、また戦前、戦中、戦後と時代の荒波にもまれながら、原宿教会の信仰の先達は、共に祈り、共に助け合いながら、信仰の歩みを重ねてきました。
 今日、私たちを取り巻く状況は厳しいものがあります。世界の現実、日本社会の現実、キリスト教会が置かれている現実、そして原宿教会が置かれている現実は本当に厳しいです。しかし私たちはいついかなる時も主が共にいてくださるという希望を与えられた信仰者の群れです。信仰の先達も困難な時、共に祈り、希望を忘れずに一生懸命、与えられた命を生き抜いたのです。私たちもそのように生きていきたいと心から願います。私たちは良い時も悪い時も、兄弟姉妹として結ばれていることを喜び合い、流れのほとりに植えられた木のように、神さまとイエスさまにしっかりと繋がって生きていくのです。
 神さまが与えてくださった、神と出会い、人と出会うかけがえのない場です。その交わりの中に身を置き、様々な違いや個性を持ったままで一つにされることを心から望み、祈っているそのただ中にペンテコステの「奇跡」が起こるのです。